Episode 1-2 |
「神羅がやったんですか?」 「ああ」 リーブは視線をはずしていた。どんな感情も見せてはいけないと心に決めているようだった。 「憎ければ、私を好きにしてもいいぞ」 デンゼルは首を振った。 ** 翌日、目が覚めると伍番街の新しい家だった。昨日はなかったはずのマットレスがあり、 デンゼルはその上で眠っていた。枕元にメモと菓子パンが1個置いてあった。 「ぼくはかいしゃにいる。ときどきようすをみにくる。それからあまりとおくへはいくな。みんないらいらしているからきけんだ。なにより、さがすのはたいへんだし、きみはけっこうおもい。ついしん。マットレスはとなりの家からかりたので返しておくように アーカム」 七番街が落ちて行く映像がテレビから何度も流された。ミッドガルはもう安全だという神羅カンパニーの公知も何度も聞いた。自分の両親は死んだかも知れないというのに、もう安全だと言われても納得できなかった。安全だから、みんな幸せに暮らせるのかな。その中にぼくは入れてもらえるのかな。デンゼルはパンを食べようとした。口に入れる直前に、パンがつぶれていて中のクリームがはみ出していることに気づいた。腹が立った。そのパンを力一杯テレビに投げつけると家を飛び出した。 静かだった。ミッドガルの中心にそびえる神羅ビルが見えた。父さんは生きていて母さんと一緒に会社に行っているのかもしれない。 こんな時だから忙しくて外に出られないんだ。このあたりは神羅の社宅だから、父さんの知り合いがいるのかもしれない。知らない大人と話すのは苦手だけど、がんばって聞いてみよう。 まず右隣の家へ行って呼び鈴を鳴らした。返事はなかった。試しにドアを開けてみた。 鍵はかかっていなかったので中へ顔だけ入れて言った。 「こんにちは」少し待ったがやはり返事はなかった。アーカムはこの家からマットレスを借りたようだ。勝手に借りるなんて泥棒じゃないかと思った。もう泥棒でもなんでもして生きるしかないのかな。 左隣。向かいの家。裏の家。みんな留守だった。少し遠くの家の様子も見に行った。ほとんどの家の扉には、一時的に避難することと、その連絡先を書いた紙がはってあった。 誰もいない。両親が会社にいるなんてこともありえない。いたら絶対にここへ来るはずだから。父さんは無理でも母さんは来るはず。 希望を抱いたり打ち消したりしながら歩いているうちに、すっかり道に迷っていることに気づいた。どこをどう歩いたのか覚えていなかった。涙が流れた。悲しいというよりは腹が立っていた。 立ち止まり、道路に座り込んだ。尻の下に硬いものが当たった。神羅の飛空艇の小さな模型だった。どこかの子が落としたんだろう。 デンゼルはそれを拾い上げると思い切り投げた。 「みんなキライだ!」 ガラスが割れる音が住宅街に響いた。続いて女の声が聞こえた。 「誰や!こんなことするのは!」 事態を飲み込めずにいるあいだに正面の家から老婆が出てきた。デンゼルは女性の年齢など見当がつかなかった。 「あんたがやったのかい!」老婆は飛空艇の模型を突きつけながら言った。デンゼルは正直にうなずいた。 「どうして……」老婆は途中で言いよどんだ。 「泣いてるのかい?」 デンゼルは首を振って否定したが、涙は隠せなかった。 「うちはどこ?」 何も応えられない自分に腹が立って、ますます涙が出てきた。 「とにかく中に入りなさい」 ルヴィの家の中は、デンゼルの家とはまた違った居心地の良さがあった。小さな花柄の壁紙や同じような柄のカバーで覆われたクッションとソファがあった。飾られているのは造花だったが、暖かさ、穏やかさが感じられる部屋だった。デンゼルはソファに腰掛けてルヴィを見ていた。ルヴィは割れた窓ガラスをビニールの袋でふさごうと格闘していた。 「息子が帰って来たらキチンと直させるからね。今はこんなもんで充分だろう」 「ルヴィさん、ごめんなさい……」 「こんな時でなかったら、あんたの首根っこつかんで、親のところへ怒鳴り込んでやるんだけどね」 「父さんと母さんは……」 「まさか、あんたを置いて逃げたわけじゃないだろう?」 「七番街にいたんです」 作業を中断したルヴィはソファに腰をおろし、身体をひねってデンゼルを抱きしめた。 落ち着くとルヴィは外へ行こうと言った。 あんたの家を探そうじゃないか。二人は手をつないで歩いた。デンゼルは六歳になった時から両親と手をつないで歩くのをやめていた。カッコ悪いからだ。しかし今は絶対に離したくないと思っていた。 住民たちのうち神羅の社員は泊まりこんで事態の収拾にあたっている。家族はジュノンやらコスタ・デル・ソルへ避難してしまった。ルヴィは、どこへ行ってもひとりなら、自分の家が一番いいと残った理由を言った。やがて二人はデンゼルの家を見つけた。 「ありがとうございました。それからガラス……ごめんなさい」 ルヴィは黙ってうなずいた。ドアのところまでやってきて中をのぞき込んだ。 「あんた、こんな何もない家でどうするつもりだい。うちに来なさい。いいね」 デンゼルはルヴィと暮らすことになった。 ルヴィは壱番魔晄炉が爆破された時から、これは大変なことになると考えて食料をたくさん買い込んでいた。裏庭に物置があり、その中は缶詰などの保存食でいっぱいだった。 「備えあれば憂いなしって言うだろ?」 ルヴィの一日は忙しかった。家の中の掃除、周囲の掃除、食事の用意、裁縫。デンゼルは裁縫以外ぜんぶ手伝った。眠る前には本を読んだ。ルヴィは厚くて難しそうな本を読んでいた。面白いのかと聞くと、ちょっとも、と応えた。息子の本だと言った。これを読めば息子の仕事がわかるかもしれないと、もう五年以上読み続けている。眠るために読んでいるようなものだと笑った。 ルヴィは役に立つから読みなさいとモンスター図鑑を貸してくれた。その本もやはり息子のもので、デンゼルの年くらいに読んでいたらしい。モンスターのカラーイラストと説明がのっていた。どのページも同じことが書いてあった。モンスターと出会ったらすぐに逃げましょう。そして大人に知らせましょう。もし。もし今、モンスターと出会ったらルヴィさんに知らせればいいのかな。でもルヴィさんは戦えなさそうだ。ぼくが戦うことになるんだろうか。できるだろうか。勝てるだろうか。 自分は何の役にも立たないと思った。だから両親はぼくを置いていってしまったんだ。 ** 日差しが強くなってきてデンゼルは汗をかいていた。 「まったく……暑いな」リーブはジョニーの方へ言った。 「水をくれないかな」 デンゼルは汗を拭こうとハンカチを取り出した。 「ずいぶんかわいい柄だな。女の子みたいだ」 「そうですね」デンゼルはハンカチを見つめた。 ** ある朝、目覚めるとルヴィが襟付きのシャツを見せながら言った。 「これを着なさい。あんたに作ったんだけどそんな柄の布しかなくてね」 白地にピンクの小さな花をたくさんちりばめた模様の、いつもなら絶対に拒否するシャツだったがデンゼルは喜んで着替えた。 「これは布が余ったから作ったんだ。持ってなさい」差し出されたのは同じ模様のハンカチだった。ずいぶんたくさん布が余ったらしく、ハンカチは何枚もあった。デンゼルは一枚だけ受け取ると折り畳んで尻ポケットに入れた。 「それから……」ルヴィの顔から笑みが消えた。「なんて言ったらいいんだろうね……」 デンゼルは何を言われるのか考えた。一番言われたくない言葉が思い浮かんだ。出て行け。そう言われるのではないかと思うと緊張で身体が震えた。 「外へ行こうか」 ルヴィは勝手口から裏庭へ出て行った。デンゼルはためらったが、やがて続いた。分厚く敷き詰められた土を踏みしめてルヴィの横に立った。ルヴィは空を見上げて立っていた。 デンゼルも空を見た。空に大きな黒い点があった。とても不吉な風景だった。昼間の空にあるのは青と白。それ以外は、憂鬱か不安の種に違いなかった。 「わたしも何も知らないんだけどね。メテオって言うらしいよ。あれがこの星と衝突して何もかも終わりになっちゃうんだってさ」 ルヴィは物置から缶詰を2個取り出してデンゼルに渡した。 「あんなものにどうやって備えろってんだろうね、まったく」 ルヴィはその日、掃除も縫い物も何もしなかった。ずっとソファで考え事をしていた。 そうかと思うと何度も続けてどこかへ電話をかけた。相手は出なかったようだった。たぶん息子さんにかけたんだろうと思いながらデンゼルは家の中と外の掃除をした。メテオが衝突した時のことがうまくイメージできなかった。それよりもデンゼルには聞きたいことがあった。しかし切り出せずにいた。日が暮れたころ、ルヴィは現実に帰って来たとでも言うように、掃除を始めた。デンゼル、あんたのやり方じゃ全然ダメだよ。いったい今まで何を見ていたんだい。それはいつものルヴィだった。 夜、二人で並んでソファに座っていつもの本を読んだ。本に目を向けたままルヴィは言った。 「デンゼル。私はここで最後の時を待つつもりだ。星が壊れるってんなら、どこにいたって同じだからね。あんたはどうする?どこかへ行くってんなら、家中の食べ物を持って行ってもかまわないよ。あんたはまだまだ子供だけど、最後の場所は自分で決めるのがいいと思うんだ」 デンゼルはルヴィが言ったことについてよく考えた。そして昼間からずっと聞きたかった質問をした。 「ぼく、ここにいてもいいですか?」 ルヴィは本から顔を上げるとデンゼルを見て微笑んだ。 それからルヴィはいつもの通りにすごした。ただ、外の掃除だけはしなかった。家の周囲の掃除はデンゼルの仕事になった。 神羅ビルで工事が始まったのが見えた。あっという間に屋上に巨大な大砲が設置された。神羅カンパニーがメテオを退治してくれるんだ、とルヴィに報告した。 「あの会社はいつも何か間違えてしまうんだ」とルヴィは悲しそうに首を振るだけだった。 結局その大砲はどこかに向かって一度撃っただけで壊れ、崩れ落ちてしまった。そればかりか神羅ビル自体も攻撃を受けて破壊されてしまった。いったいどんなモンスターがいるのかとデンゼルは考えた。ビルを破壊するほどのモンスターなど想像もつかなかったがルヴィに聞くのはやめておいた。空には相変わらずメテオがあった。他の地域では大騒ぎだったがデンゼルの日常はおだやかだった。 両親に会いたい思いがおさえられず、声を出して泣いてしまうこともあったが、ルヴィに抱きしめられると落ち着くことができた。 ルヴィと一緒に眠っているあいだに最後の時が来るなら、それでもかまわないと思った。 デンゼルの平和を奪ったのはメテオではなく怒れる白い奔流だった。星が放ったライフストリームは結果としてメテオを破壊した善なる力ではあったが、その濃密な生命のエネルギーは人間にも破壊をもたらした。 運命の日。デンゼルとルヴィはベッドに入って眠ろうとしていた。外で強い風が吹く音がした。しかしそれは風にしては大きな音だった。やがて家全体がガタガタと揺れ始めた。 最後の時が来たんだ。すぐに終わればいいのにとデンゼルは思ったが、時間がたつにつれて揺れはさらに激しくなった。音は静まるどころかまるで列車が家の横を通り過ぎているような轟音に変わっていた。ルヴィに抱きしめられ、目を閉じて耐えていたデンゼルだったが、五分が限界だった。 「ルヴィさん、怖いよ」 ルヴィが起き出して明かりをつけようとしたのと同時に、閉じた花柄のカーテンが真っ白になった。家全体が光に包まれたようだった。 「毛布を被っていなさい」ルヴィは寝室を出て行った。家の振動が激しくなり、タンスの上に置いてあった造花が床に落ちた。デンゼルはベッドから飛び出してルヴィを追った。 ルヴィは居間の窓を見つめていた。ビニールで簡単にふさいであるだけのデンゼルが割った窓だ。そのビニールが今にも裂けそうにふくらんでいた。ルヴィは窓に駆けよってビニールを両手で押さえた。 「デンゼル、戻りなさい!」 デンゼルは震えていた。足の裏が床に貼りついたように動けなかった。あのガラスを割ったのはぼくだ。きっとぼくのせいでとても良くないことがおこるんだ。ルヴィが窓から離れて足早に近づいてきた。抱きつこうとしたデンゼルは乱暴に寝室に押し戻された。その瞬間、窓のビニールが裂けて眩しい光の束が家の中に流れ込んできた。悲鳴をあげる直前にルヴィがドアを閉じた。 「ルヴィさん!」デンゼルはノブを引いてドア開けようとした。 「デンゼル、やめなさい!」 「でも!」デンゼルはまたノブを引いた。 ルヴィが背を向けて立っていた。足を開き、両手をドアの枠に伸ばして突っ張っている。 「閉めなさい!」 ルヴィの体ごしに、何本かの束になった光が壁に衝突して反射するのが見えた。まるで体が光る蛇のように部屋の中で暴れていた。 モンスター図鑑には載っていないやつだと思った。逃げて、大人に知らせないといけない。いや、この家ではぼくが戦わなくちゃならない。 「ルヴィさん!」そう叫んだ時、光がルヴィを直撃した。短いうめき声が聞こえた。光は細かいロープのように姿を変え、ルヴィと壁の間の隙間から勢いよく寝室に入り込んできた。 ルヴィがその場に崩れるように倒れたのとデンゼルが光に突き飛ばされて気を失ったのはほとんど同時だった。 |