Episode 1-3
 
「どれくらい倒れていたのかわかりません。
 気がついたら家の中はメチャクチャでした。
 ルヴィさんが倒れていました。名前を呼んだら少し目を開いて、無事で良かったと小さな声で言ったんです。それから手を握らせてと言いました。ぼくは手を出しました。ルヴィさんは握ったけど全然力がなかったです。息子の手は大きくなりすぎてもう握れないんだって言いました。ぼくは子供で良かったと思いました。それから外の様子はどうなっているのかって聞かれました。心配だったけど外に出ました。朝でした。あたりは家の中と同じくらいにメチャクチャになっていました」
 デンゼルはうつむいて話し続け、リーブは目を閉じて聞いていた。

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 外に出たデンゼルは振り返ってルヴィの家を見た。ガラスをなくした窓が見えた。ぐるりと見回すと他の家の窓も割れていた。屋根がなくなった家、壁に穴があいている家もあった。結局、同じことだったんだ。ボクが割らなくても同じだったんだと考えた。しかし、そんなことを考えた自分に腹が立ってきた。
 ルヴィさんはぼくを守ろうとしてひどい目にあったのにぼくは関係ないふりをしようとしている。
 家の中に戻るとルヴィは眠っているように見えた。穏やかな顔をしていた。不安になったので肩をゆすってみた。
「ルヴィさん!」今度は強くゆすってみた。
 ルヴィの口の端から黒い液体が一筋流れ出た。それが死のしるしのように思えてあわてて拭き取った。髪の毛の中からも黒いものが流れ出てきた。気持ちが悪かった。デンゼルは恐怖にかられて家を飛び出した。
「父さん!母さん!助けて!」大きな声で叫んだ。続けて、知っている限りの名前を全部呼んだ。あとは泣くしかなかった。
「おい、泣くな」誰かが大きな手でデンゼルの頭を乱暴につかんで上を向かせた。黒々とした口髭を生やした大男が立っていた。男の後ろには小型のトラックが止まっていて、荷台には十人くらいの男女がいた。
「どうしてここにいるんだ?スラムに避難するようにテレビで言ってたろうが」
 きちんと答えないとひどく叱られそうな気がした。しゃくりあげながら言った。
「テレビは見てませんでした」
「まったくよ!しらなかったとか、大丈夫だと思ったとか、そんなやつらばっかりだぜ!」
 トラックの男女が決まり悪そうな顔をした。
「で、家族は?」
「ルヴィさんが中にいます」

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「ガスキンという人でした。ルヴィさんを裏庭に埋めてくれました。トラックの人たちも手伝ってくれました。息子さんの本と裁縫道具を一緒に埋めました。裏庭に薄く土が入れてあったのでみんなは不思議がっていました。普通はすぐにプレートにあたっちゃうって」
「野菜でも育てるつもりだったのかな。田舎から来たお年よりは、よくそういうことをするからね」
「……花だと思います」
 デンゼルは花柄のハンカチを見ながら答えた。
「家の中は花の模様でいっぱいだったし造花もたくさんありました。でも本当は、本物の花が欲しかったんだと思います。息子さんが神羅の社員だからミッドガルに住んでいたけど本当はちゃんとした土があって花が育つような……ごめんなさい。話がそれちゃいました」
 リーブはうなずきながら聞いていた。

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 デンゼルたちを乗せたトラックはやがてスラム行きの列車が出る駅に止まった。ガスキンが言った。
「列車は走っていない。復旧の見込みはまったくない。でも、線路は幸運にも地上まで繋がったままだ。歩けば地上に降りられる」
「ミッドガルは危険なのか?」誰かが聞いた。
「そりゃ、わからないね。でも、とりあえず降りた方が安心だろ?」
 続けてデンゼルに言った。
「足、滑らすなよ。みんな余裕ねえからな。自分でなんとかするしかねえぞ」
 そしてトラックをUターンさせると走り去って行った。駅には大勢の人々が集まっていた。白い光はミッドガル全体に影響を与えていた。家を壊された人々、街が倒れるかもしれないと考えた人々が逃げて来ていた。しかし、線路を歩いて地上まで行くことをためらう人々も多かった。メテオが消えたことを喜ぶ声は聞こえず、代わりに、徹底されなかった避難勧告に対する不満が叫ばれていた。父さんがここにいなくて良かったとデンゼルは思った。人ごみをかき分けてホームへ行き、流れにのって線路に降りた。この先に何が待っているのかわからなかったが、道を示してくれたのはガスキンだけだったから、その言葉にしたがうのは当然だとも思った。
 鉄製の支柱の上に敷かれたレールと枕木の隙間からずっと下の地上が見えた。落ちたら絶対に助からない高さだったので用心深く降りた。ミッドガルの外周をらせん状に降りて行く道はうんざりするような長さだったが、足を滑らせないように集中して歩くと何も考えずにすんだ。
 突然行き止まりになった。大人たちが立ち止っている。渋滞が起こっているようだった。人垣をかき分けて前に出ると三歳くらいの男の子がレールと枕木しかない不安定な場所に足を投げ出して座っているのが見えた。
 この子が渋滞の原因なら、よければいいのにと思った。誰かが男の子に話しかけた。
「ママは?」
 子供は突然ママと叫びながら泣き出し、下をのぞきこもうとした。バランスをくずして落ちそうになったのでデンゼルはとっさに駆けよって腕をつかんだ。大人たちのどよめきが聞こえてきた。誰かが言った。
「おい、その子、やられてるぞ」
「触るな、うつるぞ」
 デンゼルは何を言われているのかわからなかった。
「おい、道をあけろよ」誰かが怒鳴った。デンゼルはその言い方に反抗したくなって顔をあげたが声の主はわからなかった。仕方がないので男の子の腰に手を回し、引きずるようにして支柱とレールを固定するための鉄板の上へ移動した。どうして誰も手伝ってくれないんだろうと思ったが、その理由はすぐにわかった。その子の背中はベットリと黒く濡れていた。
 道が開けたので人々は歩き始めた。男の子は「痛い」と「ママ」を繰り返しながら泣いている。誰かが言った「うつるぞ」という言葉を思い出した。泣きたくなった。男の子に腹を立てた。しかしすぐにルヴィのことを思い出した。あんなに親切にしてくれたルヴィから黒い液体が出てきたとき気持ち悪いと思った自分。怖くなって逃げ出してしまった自分。罪悪感で胸がいっぱいになった。
 だから男の子に優しくしようと思ったのは罪滅ぼしのつもりだった。ルヴィに許してほしかった。男の子の横にしゃがんで聞いた。
「どこがいたい?」
「うしろ、いたい」
「背中がいたいのか?」
「うん」
 男の子の背中に慎重に手をあてた。お腹が痛いときに母さんに撫でてもらうと痛みが消えた。どこかをぶつけた時も撫でてもらうと痛みが消えた。母さんの魔法、ぼくにも使えるかもしれない。
 デンゼルは少し粘り気のある黒い液体を気にしないようにして撫ではじめた。最初は痛がっていた男の子はやがて眠ってしまった。
 三時間。もしかしたらもっと長く、時々休憩しながら撫で続けた。人々はデンゼルたちを無視して線路を降りて行く。
「もう、死んでるわよ」
 顔を上げると疲れた顔の女が立っていた。
 胸に赤ん坊を紐でくくりつけて、デンゼルくらいの年頃の女の子と手をつないでいた。その子が言った。
「女みたいなシャツ。変なの。ねえ、ママ、早く行こう?」
 ママと呼ばれた女は無言のまま娘の青いジャケットを脱がした。デンゼルに差し出して
「これをかけてあげなさい」と言った。三枚も重ね着させられて汗をかいていた娘はほっとしたような顔をした。
「あげる。お姉ちゃんのだから大きいの」と女の子は言ったが姉らしき姿はなかった。
 デンゼルは自分の横で体を丸めて眠っている男の子を見た。寝息は聞こえなかった。
 デンゼルの全身から力が抜けていった。女の子が母親からジャケットを受け取って、さっさと男の子におおいかぶせた。体がすっかり隠れて見えなくなった。
「お姉ちゃんといっしょ」と女の子が言った。
「ありがとう」それだけ言うのが精一杯だった。母親はすでに歩き出し、女の子も後を追って行った。女の子が手を母親の手にすべりこませた。二人の手は真っ黒に汚れていた。
 デンゼルは女の子が背負っているチョコボが描かれたカバンを見つめながら思った。
 ぼくたちは身体から黒いねばねばしたものを流して痛い痛いと泣きながら死んじゃうんだろうか。病気がうつって、みんな死んじゃうのかな。

**

「あの頃はまだ星痕のことは何もわかっていなかったからね。ライフストリームを浴びた者はからだからウミを出して死ぬ。触るとうつると言う者もいた。実際はライフストリームに混じっていたジェノバの思念が……いや、わかっていたとしても状況は変わらなかっただろうね」
「そうですね。特に子供にとっては」
「うん」
「ぼくは線路の上で考えたんです。早く大人になりたいって。考えてもわからないことを少しでも減らしたいと思いました」

**

 デンゼルはスラムの駅で逃げてきた人々をぼんやりと眺めていた。次から次へと上層から降りてくる人々は立ち止ったら終わりだと考えているかのように歩き続けた。自分もそうしなければと思っていたが、ここにいれば知っている顔に会えるかもしれないという期待も捨てられなかった。そんな中途半端な状態のデンゼルを動かしたのは耐え難い空腹感だった。
 食べ物を探して駅の周囲を歩いていると少し離れた場所にたくさんの荷物が積み上げられているのが見えた。そこからさらに先の方で数人の男たちが何かの作業をしているのが見えた。穴を掘っているらしかった。風に乗って腐臭が漂ってきた。男が若い女を肩に担いでやって来て、女をそっと穴の中へ下ろした。そこは臨時に作られた墓場だった。あわててその場を立ち去ろうとしたとき、積み上げられた荷物の中に見覚えのあるカバンを見つけた。チョコボが描かれていた。自分でもよくわからない衝動に動かされて、そのカバンを手に取ると中を見た。クッキーとチョコレートが入っていた。デンゼルは持ち主の女の子のことを考えた。あの子はもういないんだ。「食え」と声をかけたのはガスキンだった。
 デンゼルが漠然と会いたいと思っていた相手だった。
「病気がうつるのが心配か?ただのウワサだ。もしかしたら本当かもしれねえが、今のところウワサだ。それにな、何も食べなくても死ぬぞ。どうせ死ぬなら腹いっぱいで死にたいだろ?」そう言うとカバンに手を入れてクッキーをつまんで食べた。
「うまい。まだ食える。放っておいたら腐るだけだ。もったいないから食え」
 デンゼルもクッキーを食べた。甘さが心地よかった。カバンに向かって声をかけた。
「ありがとう」
 ガスキンがデンゼルの頭を乱暴に撫でた。
 父さんとは全然ちがうタイプだけど撫で方は同じだと思った。それから約一年、デンゼルはそこで暮らした。デンゼルの最初の仕事は荷物の中から食べ物を見つけることだった。
 すぐに仲間もできた。全員、親を亡くした子供たちだった。ガスキンの仲間も増えていった。考えるのが苦手で身体を動かしていないと気がすまない馬鹿野郎どもとガスキンは言った。最初に遺体を埋葬しはじめた一団だった。デンゼルは時々、笑っている自分に気がついた。元の自分に戻れるような気さえした。しかし、二週間ほどでミッドガルから避難してくる人々の数が減り、駅で力尽きる者もいなくなった。ガスキンたちのここでの役目は終わりに近づいていた。デンゼルは未来に対する不安で眠れない夜を過ごした。
 男がひとり、探しものをしているという様子で歩いていた。そのうち男はデンゼルと仲間の子供たちに近づいてくると話しかけてきた。
「鉄のパイプが欲しいんだよな。たくさんあればあるほどいいんだけど」
 デンゼルたちは鉄パイプを探した。七番街の残骸の中でたくさん見つけることができた。
 男は礼を言い去っていった。
 その後何度も男は来た。三度目からは同じように探し物をしている仲間を連れてきた。
 ミッドガルの東側で新しい街づくりが始まって、そこで使う資材を探しているということだった。子供たちは探し物を届ける代わりに食べ物をもらうことにした。
 デンゼルたちは七番街探索隊と名乗るようになった。仕事の依頼はたくさんあった。大人のように働いて生活している自分たちが誇らしく、毎日が楽しくなっていた。両親のことを思って涙が出る夜もあったが、仲間たちで励ましあった。運命共同体という言葉が使われるようになった。しかし、デンゼルたちが考えていたほど、運命は力強く一同を結び付けたわけではなかった。
 ある朝、ガスキンが仲間たち、すなわち探索隊の大人と子供を集めると、新しい街づくりに参加するためにみんなで移住しようと言った。ガスキンがいうならそうしようと意見がまとまりかけたとき、子供たちのひとりが聞いた。その子はガスキンが話の最中に度々胸をさするのを見ていた。
「ガスキンさん、具合悪いの?」
「ちーっとな」ガスキンが上着のボタンをはずすとシャツは真っ黒に濡れていた。

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「ガスキンさんは1ヶ月後に死んでしまいました。みんなで特別な場所に埋めてあげました。いい人はみんな死んじゃいますね」
 デンゼルの言葉にリーブは静かにうなずいた。デンゼルはコーヒーを口に含んだ。とても苦く、大嫌いな飲み物だったが早くおいしいと思えるようになりたいと思っていた。